私の日記

私の日記ですが毎週日曜日分です。

(平成22年度)

 

 1月 2月  3月 4月  5月

 

 

 

1月1日

 

謹賀新年

 今年も宜しくお願い申し上げます。

旧蝋31日、お昼頃より降り出した雪は大雪となり、今朝は80センチほど積もった。

7時、除雪機を出して玄関前、車庫前など除雪をし、家の前庭なども除雪する。9時家に入り顔を洗い、孫のY君に手伝ってもらって諸神棚に灯明をつけて、新年の参拝を敬虔にする。ほどなく、むらの分家衆のA君、T君、I君の3氏が年賀のご挨拶に訪れる。応接間におとうしして、(お屠蘇)を振舞う。小1時間ほど歓談する。その後私一人遅れて朝食を食べる。

むらの公民館で、新年の祝賀会が開かれたが欠礼した。

その後、孫たちと炬燵でテレビを観ながら夕方まで過ごす。夕方になり、家族全員6人が、早々にお風呂に入り夕餉の膳に就く。

倅が、神戸からわざわざ取り寄せてくれた本場高級牛肉の焼肉などで、楽しい元旦のパーテーを過ごした。

昨夜大晦日で遅くまで起きていたので寝不足と、お神酒の酔いも手伝い9時半に就寝する。

1月3日

年末大晦日より降り続いた大雪も、今日は止み朝から晴れ上がる。

朝食を食べて、このところの日課、玄関前と車庫前の除雪を除雪機を使って除雪する。途中吹き上げの回転軸のボルトが折れて交換を試みたが、上手くはまらず手を焼き、隣のN君を依頼して交換し午前中除雪に携わる。

午後からは、家の裏の除雪を行う。屋根から落ちて高く積もった雪を、スノーダンプで運び池に捨てる。道路側のところは、道路に運び除雪機で空き地に飛ばして片付けた。妻も、高齢ながら手伝ってくれて助かる。雪国故の過重労働、なかなかうまい軽減解消策が無く残念だ。大雪にならないように只管願うのみ。

1月10日

朝から雪が降り1日中やまづに降り続き寒い1日だった。

朝飯を食べて、明日11日、成人式の日に執り行う小正月恒例の行事、「道ろく神」つくりに出役する。暮れに、近くの場所に用意しておいた心棒になる細木を立て、観音堂の軒下に保管して置いた(かや)を運んで心棒に結びつけ、側に杉の葉を差して10メートルほどの高さの見事な「道ろく神」が、みんなの骨折りにより正午前に完成した。

午後は炬燵で過ごす。夕方4時、家の神棚に灯明をつけてお参りをし、大晦日に上げた(お供え)を下げる。明日の朝には、村中の家が松や注連飾りを下げて、今日作った「道ろく神」へ持参して、(松焼き)をするのだ。

暮から新年になっても雪の日が多く積雪量も多く、近年に無い冬らしい冬の中での「道ろく神」まつりとなった。

1月17日

今朝も雪降り。降雪はやや弱まり朝の新雪量は10センチくらいだ。朝飯前に「むら」の(道ふみ当番)が回ってきていたので出役する。消防ポンプ舎の前を除雪し、発電所鉄管路からの消火栓を掘り出し、ゴミステーション前を、スノーダンプで掻いて除雪をする。1時間ほど作業をする。

朝飯を食べて、家の西側裏の除雪をする。スノーダンプとスコップを使い、午前中居間の外を掘りあげて家の中に採光が取れるようにする。

午後は、京都市で開催された、全国都道府県対抗の女子駅伝のテレビ放送を観戦する。長野県は、昨年は8位入賞したので今年は更に上の入賞が期待されたが、トップ28位から誤算があり、一時6位まで巻き返したが、最終19位に止まり残念だった。

3時、また家の裏の除雪に出て風呂場、台所の雪掘りをして採光が取れるように頑張った。

予想以上の大雪に見舞われて、このところ連日の除雪作業で大変だ。早く春の到来が待ちどうしい。

1月24日

朝から晴れて青空、気温は低く寒い。 朝飯を食べてAM815から、「むら」のお宮や公民館・観音堂などの屋根の雪下ろし作業があり出役する。夫々分担して作業に就く。私は、お宮の担当をする。二時間ほどで作業は完了し帰宅する。

お昼まで間があるので家の前の除雪をする。スノーダンプで出して、除雪機で空き地へ飛ばし軒下の積雪を低くする。

お昼を食べて、全国都道府県対抗男子駅伝のテレビ実況を観戦する。我が長野県選手団は、今年3連覇6度目の期待がかかる。しかし、有力3選手がインフルエンザなど体の不調で急遽交代となり、残念ながら5位入賞に止まった。

3時半、また家の西側の除雪作業を五時までおこなう。家に入ると大相撲千秋楽結びの大一番、横綱対決の朝青龍と白鵬の熱戦があり、白鵬に凱歌が上がった。しかし優勝は、昨日すでに朝青龍が決めていた。

 

1月31日

 

今日も朝から晴れる。1日中晴天が続く。1月最後の日曜日。この頃、降雪も落ち着いて降りかたっも少なく、除雪作業から解放されて助かる。

午前中、テレビで恒例の政治討論番組など観て過ごす。午後からは、大阪国際女子マラソンの実況をテレビ観戦する。

ホクレンのママさんランナー、赤羽 有紀子さんに期待がかかる。前半トップグループでリード役を果たしたが、左膝の故障の影響で、39キロ手前で残念ながら棄権する。最終結果は、エチオピアのアマネ・ゴベナが優勝。2位、 ポルトガルノマリサ・ボロス。3位、 日本の小崎 まり(ノーリツ)4位、 ルーマニアのリデイア・シモン。5位、 日本の小幡 佳代子(アコム)であった。赤羽の故障が惜しかった。

その後、野沢温泉スキー場で、過日開催された長野県小学校スキー回転競技の録画を観る。皆んな素晴らしい滑りで将来が期待できて頼もしかった。

2月7日

節分寒波の影響が今日も続き、朝の降雪量も多く未だ雪が降り続いている。

朝飯を食べて、玄関前と車庫前など機械除雪をする。その後、家の東側玄関前とトイレ前など、軒下の雪をスノーダンプで掻き上げて、除雪機で前の田んぼへ飛ばした。

お昼で家に上がり、テレビで別府大分毎日マラソンの実況を観ながら昼食を食べる。そして終わりまで観戦する。成績は

ケニアのジョナサン・キプコレルが、2時間10分50秒で優勝する。日本人最高は、4位で大塚製薬の井川 重史が、2時間11分4秒であった。期待よりも、国内選手の活躍は振るわなかった。

3時、雪降りも止んだので、家の傍の車庫の屋根4回目の雪下ろしをした。朝からの重労働で大変疲れた。

風呂に入り夕食にビールを少し頂き、テレビを観て10時就寝する。

2月14日

今朝も降雪なし。この頃降雪も少なく道路玄関先などの除雪から解放されて、ほっとしている。炬燵でテレビを見て過ごすのが日課となり、休養が出来て助かる。

今日も午前中は政治討論番組。午後からは、バンクーバー冬季五輪フリースタイル女子モーグルの観戦をする。本県白馬の上村愛子が4度目の出場で、念願の金メダル獲得への期待をかけたが、残念ながら4位に終わり彼女の悲願が報われず本当に悲しかった。

330 、夕方までまだ時間があるので、支度をして家の居間の外の除雪をし採光を良くする。

妻は、明日15日お釈迦様の命日なので、伝統行事の「ヤショウマ(耳団子)」を仏様にお供えするために精を出して作った。

 

2月21日

昨夜から雪降りとなるが、朝方の降雪は少なく晴天となる。AM440 小用を催したのでそのまま起床する。そして、オリンピック、ジャンプ・ラージヒルの、テレビ放送を観戦する。今度こそ、メダル獲得をと大きな期待を寄せたが、若手の竹内・栃本は振るわず、二回目進出が果たせなかった。ベテラン葛西と伊東が二回目を飛んだが、両者とも1回目の不振から、葛西は135メートルの大ジャンプも空しく8位にとどまり、伊東は、20位で日本悲願のメダル獲得は出来ずに残念だった。

朝飯を食べて午前中は、テレビで政治討論番組を観て過ごす。午後も夕方から、恒例の福祉大相撲がテレビ放送されたので観て楽しむ。元増位山関をはじめお相撲さんの歌唱の上手さに感心した。

2月も下旬。寒気も緩み雪降りも減じて晴れの日が多くなり、1日ごとに春めいてきた。苦しめられてきた雪との戦いも間もなく解放される。春が待ち遠しい。

2月28日

2月最後の日曜日。朝から雨天となり昨日と較べて気温が下がり肌寒い。

朝食を済ませて、農業共済の申込書と水稲生産実施計画書の作成に取り掛かる。政権交代により、今年から米戸別所得補償モデル事業がスタートする。その交付対象面積となるので、適正に申込書の作成が必要なので、登記簿などと入念に突合し作成して、むらの担当者え提出する。

午後2時、横浜の娘家族から、飯米の送付方依頼を受けたので森のコイン精米へ行き、玄米T袋を精米してきて送るようにする。

寒い雪の2月も愈々終わり明日から待望の3月となる。冬から春へと季節の移ろいが感じられるが、残雪の量は未だ多く1日も早くに融雪と春到来を、ひたすら願っている。

3月7日

今日も朝から不順天候が続く。1日中、小雪が舞い冬の戻りを感じる。

炬燵でテレビを観て過ごすのが最近の日課だ。申し訳ないような気がする。 お昼から、びわ湖毎日マラソンが放映された。

小雨の降る寒い中、選手一同一生懸命に力走し、エチオピアのイエマネ・ツエガエが2時間934秒で初優勝した。次いで2位に、日本の佐藤 智之(旭化成)が2時間10分7秒で走り、11月のアジア大会代表が有力とされる。3位はエリトリアのタドッセ。そして4位に、日本の初マラソン北岡 幸浩が入った。雨中でのレース本当にご苦労様でした。

3月14日

久し振りに天候回復、朝から快晴となる。

AM1100、軽トラに乗り北野温泉に行く。むらの第3隣組の、役員改選など年度末会議開催である。1名欠席7人が出席して、次期組長他分担役を話し合い、円滑に夫々決定する。その後、慰労懇親の席に移り、皆が楽しく世間話に花を咲かせてP400帰宅する。

515、今度は旧農協OB会で、会場の迎いのマイクロバスに乗り、津南町の「雪国」へ行く。参加者8人、暫くぶりの再会を喜び合い、楽しく飲み食い、かつカラオケで歌い、若いコンパニオン2人も加わり、賑やかに長座となり10時半、亦宿のマイクロバスで送ってもらい帰宅する。

今日は天気も良く、お昼と夕食連続で宴会に接し、最近に無い楽しい1日を過ごすことが出来た良かった。

 

3月21日

今日は彼岸の中日、朝方曇り空だったが次第に下がり、雪が降り出した。一時は、真冬並みの大雪が降りだした。

「暑さ寒さも彼岸まで」の諺もあるとおり、最近春めいたきざしも感じられたが、まだまだ寒く残雪も多く、時折り寒の戻りがあり気温が低く不順な天候が気がかりだ。

朝飯の後、8時半むらの区長さん、会計さん、それと私と3人で、むら上の生活灌漑用水路の補修箇所を視察する。今年度の、区の事業計画に上げて補修工事を実施し、改修実現できるように提案する下見相談をした。

その後は1日中、炬燵で雑用で過ごす。

妻は、明日実家の仏様まいりに行く際の、手土産として持参する「耳団子(やしょうま)」つくりに精をだした。

3月28日

昨日からの晴れが今日も午前中続く。しかし、午後から下り坂曇りとなり、夕方からまた雪が降り出した。

午前中は、日課のように炬燵に入りテレビを見て過ごす。亀井大臣の発表した、郵政改革法案の郵貯の預け入れ限度額2千万円の引き上げと、簡保2.500万円への引き上げをめぐり、内閣の不一致発言や民間金融機関の反対論が物議をかもしている。

午後1時半から、(むら)の公民館において区の春季総会が開催されたので出席する。恒例の役員改選、事業報告と決算承認、新年度事業計画と予算樹立など審議して、何れも原案どうり可決する。議事後、慰労懇親会に移り酒肴が出されて盛大に宴会を開く。会場のテレビで、大相撲春場所千秋楽の実況を観る。横綱白鵬が、大関日馬富士を熱戦の末上手投げで下し、全勝で13度目の優勝を飾る。関脇把瑠都は、14勝1敗で大関昇進を決めた。

宴会は酣であったが私は飲酒は召さないので大相撲の終わりを機に退散、6時前に帰宅する。

4月4日

今日も朝から晴れ夕方まで続く。朝飯を食べて、テレビで政治討論番組を観る。普天間基地移転問題解決に困難性が累増し、鳩山総理の立場が次第に窮地に追い込まれて行くような感じがする。

11時、保管しているバラバラの古い写真を持ち出して閲覧し、父母の写真のアルバム製本を計画して抽出し、PCで一枚一枚プリントする。

午後に、むらの懇意なM女史を家に呼び、発生した重要問題について色々と話を聞き、対策を話し合う。

その後、未完の写真抽出とプリント作業を、夕方まで続ける。

6時入浴、夕食を済ませテレビを観て、就寝10時となる。

 

4月11日

朝から曇天。朝食の後2時間ほどテレビで政治討論番組を観て過ごす。

9時半頃、村の議会議員時代の同僚で、屋敷温泉のK・S氏死去の報を電話で受け驚愕する。明日12日、葬儀執行に伴い参列方の案内を受け列席する旨の回答をする。

その後、一日中夕方まで、7月執行予定の父母両人の年回法要を記念し、発刊予定の「我が父母追憶のアルバム」原本のプリントを完了したので、精査し不備箇所の校正をする。校正を一様終えたので、製本するためにPCで必要部数印刷を始めた。しかし1ページも終わらないうちに、インク切れとなり止む無く後日にと中止する。

このところ、天候不良が続き閉口いたしているが、明日の友の葬儀に伴い、好天をひたすら願い就寝する。

4月18日

朝から晴れる。朝飯を済ませて家の前の苗代用水田の乾燥のために、鍬で堀上げて水きり溝をつくる。

11時「父母追憶アルバム」の用紙が不足し、過日十日町市の量販店に購入を依頼していたが、入荷の連絡を受けたので購入のため車で出かける。用を済ませて、行きつけのレストランでお昼を食べ、二時半帰宅する。

その後、早速アルバムのプリント作業に取り掛かり、夕食後も続けて10時まで作業をする。

プリンターの効率が悪いので中々時間がかかり進捗が手間取るが、頑張って完成したいものだ。

4月25日

朝からお日様も出て晴天となる。 朝飯を食べて、水稲の芽だしをした苗箱が来るので、田んぼに敷設する材料のビニール、トンネルをつくる金の曲がり棒などを、保管場所の家の二階物置(そら)からおろして、準備をして待つ。

 9:15分、農協の係員が苗箱を搬送してきてくれる。妻と2人で、過日骨をおって作った田んぼの苗床に敷設する。

並べ終えてトンネル用の曲がり棒を床の上にまたがせて差し込み、その上にビニールをかぶせて張り、端を田んぼの泥で押さえて出来上がる。お昼少し前の1140分だった。

 午後は、午前中の苗敷設の作業で疲れたので、休養方テレビを観て過ごした。

 今年は、不順天候気味で農作業の開始が遅れている、先行き作柄が心配だ。

 

5月2日

今日も晴天が続く。朝食を済ませてA830村普請に出る。村から上段の、原の田んぼへ通づる中田農道の側溝の泥上げと、山側のボヤなどを刈り払い除去して、通行の邪魔物の取り除く作業をする。お昼近くまでかかり漸く完了する。

午後は、P130妻と2人で飯山のAコープ店へ行き、明日3日来泊する二組の子供家族に食べさせる、ご馳走の食材の仕入れをして4時半帰宅する。

その後は、午前中のむらの道普請で疲れたので夕方まで過ごし、風呂に入って夕食を頂き10時就寝する。


(平成21年度)

                                             

 

11月8日

今日も晴天が続き暖かい。

朝飯を済ませて、区のカヤ刈り普請に出役する。むらの上段。かつて、東部パイロット畑地造成事業で開拓した畑が、耕作放棄されていて一面のススキ野に変わっているカヤ野に行く。 みんなが、鎌でカヤを刈り藁で束ねて軽トラに乗せて、むらに運び、観音堂の軒下へ立てかけ保管する。小正月行事の(道陸神)つくりに使うのだ。 その後、浄堂と公民館の冬囲いをする。

お昼を食べて1時半から、村下の県道上にある(カタクリ街道)の刈り払いと片付け作業を行う。3時賦役作業全部が終わり帰宅する。そして夕方まで休養する。

夕食後テレビで、松本清張生誕百年記念「点と線」特別編を観る。9時から12時まで3時間の長時間番組で、見応えがあり興味深々すこぶる面白く楽しかった。

11月15日

昨日1日中降り続いた雨もあがり、今日は朝から晴れる。

朝食を済ませて1時間ほどテレビの政治討論番組を観る。そのあと、家の南側西角に、百年以上経過した「南天」の古木がある。「南天」の樹は、家運が興隆するほど勢いが良くなるといわれて縁起が良いので、毎年雪害から守るために冬囲いをしてきた。そのせいか、今では屋根の軒下に届くように大樹となった。今年もまた、骨をおって冬囲いをした。

お昼を食べながらテレビを観る。横浜国際女子マラソンが放映されていた。結果は、ロシアのインガ・アビトワが2時間27分18秒で優勝。次いで2位は、日本の嶋原清子(セカンドウインドAC)が、北京五輪の銀メタリスト強豪ヌデレバ(ケニア)と後半競り合い頑張って2位となる。ヌデレバは3位に終わった。

午後3時頃から、家の北側灯油タンクの雪囲いを夕方までかかり完了させた。

18日頃にまた雪の降る予報がでている。冬将軍の到来に備えて、いろいろと冬囲いに大童の作今だ。

11月22日

朝から快晴。朝飯を食べて家の茶の間・座敷の外、庭に面した東側の軒下に、毎年夏場だけ小屋根を取り付けている。降雪が近づいたので取りはずすため、8時半村のT君と野口のI君2人に依頼して来てもらい、私と老妻も手伝って4人で取りはずし片づける。

その後私は、冬囲いの材料を運んで「囲い板」を取り付け、冬囲いを完了する。

お昼を食べてテレビヲ観る。国際千葉駅伝が始まり観戦。日本選手が活躍して優勝。二位も日本学生選抜。.3位ケニア。4位も千葉選抜と日本勢が上位独占する。感動した。

その後勝平山に行き、ナメコと椎茸を採取して来た。夕方、家の(坪間)に栽培している椎茸のホダ木を、越冬に備えて集積する。

11月29日

今日も朝から晴れる。 朝食の後、昨日から始めたPCでの年賀状「裏面」のプリントが残っていたので取り掛かる。午後までかかって予定枚数のプリントを完了する。

夕方は、大相撲九州場所千秋楽の取り組みを観る 。昨日既に横綱 白鵬が優勝を決定していたが、今日の結びの大一番、横綱朝青龍との大勝負が見ものだった。両者大激戦を演じて白鵬が上手投げで朝青龍を破る。そして全勝で通算12回目の優勝を飾る。尚、この結果年間最多勝記録一位の86勝の新記録の金字塔を打ち立てた.。大殊勲の敢闘努力にたいし敬意と賞賛を送りたい。

12月6日

今日は1日中雨模様。気温は例年に較べて高いのか降雪は無く喜んでいる。

冬囲いも一段落して外仕事も無いので、1日中のんびり炬燵で過ごすのが最近の日課だ。 午前中は政治討論番組、正午からは福岡国際マラソンをテレビで観る。曇天・気温も高くなく、そして無風。好条件下でレースは最初から快速で進み、北京五輪・今夏世界選手権銅メタルのエチオピア ツエガエ・ケベックが、2時間5分18秒の新記録で連続優勝した。これは、国内レース始めての5分台記録とのこと。日本勢トップは、下森 直(安川電機) で2時間14分42秒9位の成績だった。日本期待の佐藤 智之(旭化成)は振るわず、21位に止まった。 世界との差がまざまざ見せ付けられて、真に残念の思いだった。

12月13日

昨日12日は、横浜在住の長女の娘(私の姪)の結婚式で、家族全員6人が参列した。会場の「ロイヤルホテルヨコハマ」脇の(JALシテーホテル)に宿泊した。昨夜は中華街で二次会を盛大にやったので、就寝したのが12時過ぎとなり、今朝はスコシ寝坊して7時過ぎに起きた。 8時にホテル内のレストランで朝飯を済ませた。 10時親戚などにお礼の挨拶をして、長男の車で家族6人が家への帰路に就く。途中回り道をして、「東京湾アクアライン」を走り(海ホタル)を見学してその後、首都高速・関越高速利用で長野市に向かう。三芳PAで遅まきの昼飯を食べて4時半倅の家に到着する。一腹の後、自分の車に乗り換えて妻と2人で我が家に向かう。7時少し前に無事帰宅する。入浴の後夕食を食べて寝不足なので9時就寝する。長旅でスコシ疲れたようだ。

 

12月20日

昨日午前中まで雪が降り、積雪量は60センチほどになり大雪で驚いている。今日は、朝から晴れて降雪も無くあり難い。

朝飯を食べて妻は、年末恒例のむらの公民館の大掃除に出かけ10時頃終わり帰ってきた。

雪片付けも無いのでテレビを点けて、京都、都大路を走る恒例の全国高校駅伝、女子の部を観戦する。長野の代表は、長野東高校で3年連続出場となる。上位入賞が期待されたが、1区走者が、スタート間も無いグランドでの転倒者に巻き込まれるアクシデントで調子を崩し、ビリから二番目の46位と出遅れて、最終31位の成績となり不本意だった。

午後からは男子が行われ、長野県は,佐久長聖と長野日大高の二校が出場した。佐久長聖は、昨年度の優勝校であり、今年も連覇を期待したが、1区の大迫君が1位でタスキをつなぎ。二区もトップをキープするも、3区で世羅、青森山田など外国人選手に抜かれて4位に落ちる。その後巻き返しを図るも意の如くならず、最終4位でゴールする。真に残念だった。長野日大高は、初陣であり50位の低成績であったが今後の更なるご精進を期待したい。

12月27日

今年最後の日曜日。年の瀬も迫り、何かと心せわしい時期だ。

過般18日午後より、急激な雪降りに見舞われて積雪も一時期70センチメートルとなり、大雪を心配したがその後暖かい日が続き今では、雪もほとんど消えて少なくなり一安堵している。

今日も朝から曇り空が1日中続き、炬燵の中でテレビを見て過ごすことが多かった。

午後には、家の裏の池の取水口のゴミを揚げて通水を良くした。また、坪間の孟宗竹が、雪の重みで頭を垂れて雪の中に埋もれたので、埋もれた部分を切り落として倒伏を防いだ。

間もなくお正月を迎えるが、天気予報では暮からお正月5日くらいまで降雪が心配される。何とか小雪で、過ごしやすいお正月が出来るように、ひたすら祈っている。

 

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